rakuemonの日記

ブログ初心者すぎてよくわかりませんが、とりあえず日々の思いついたこととか書いていきたいと思います。

6.くも膜下出血 脳血管攣縮

入院してから家族は代わる代わるお見舞いに来てくれました。

病院から実家は少し遠かったので、そんなに毎日来なくてもって思っていましたが、これが私を救ってくれたきっかけなのでした。

そろそろ2週間。次の日は土曜日。

母と話している時、頭が思っている言葉をうまく出すことが出来ませんでした。

「料理」と言いたかったのですが、「りょうりゅ」と頭で思った言葉がうまく発声できないのです。

すぐに治りましたが、気になったので、先生に話してみると、顔色が急変。

いろいろ先生同士で話し始めました。

どうやら懸念していた脳血管攣縮のようです…

次の日緊急手術をすることが決まりました。

その後、夕方にトイレに行って、歩こうと思ったら足が前に出ない!

こちらも頭で思ったこと、足への「命令」が届かないのです。

だけど体は前に進もうとするので、前のめりになりコケそうに。不思議な感覚です。

ちょうど近くに看護師さんがいたので支えてもらいました。

どうなるんだろうか、と思いつつ、私には出来ることはないので、大人しく寝たのでした。

5.くも膜下出血 手術後

回診が終わってしばらくすると、私はICUからHCU(高度治療室)へ移動しました。

HCUとはICUと一般病棟の中間に位置する病棟で、入院した病院では、ナースステーションと入口がつながっていて、何かあればすぐに対応していただけるような病床でした。

次の日、朝になり、また白い巨塔のような回診をわくわくして待っていました。

シャーとカーテンが開いたら、少し人数が減っていましたが、また教授を先頭にお医者様が!(^^)!

麻痺などがないかバレー徴候を調べるため、目をつむって手のひらを上にして両腕を前方に肩の高さまで水平まであげるという検査をして、問題がなかったので、ある先生が「後遺症なし!」と元気よく言ってくださってとても嬉しかったです。

手術も終わり、頭は痛かったですが、1週間くらいで退院できるのかな~とのんきに考えていました。担当医にどのくらいで退院できるんですか?と聞いたとき、早ければ2週間と言われ、意外と時間かかるんだと思ったのを覚えています。

くも膜下出血で2週間というのはとっても重要な期間です。

家族がお見舞いに来てくれて、スマホを渡してくれました。

スマホを使うのを大目に見てくださったので、夜布団にかぶりながら病気のことを調べまくりました。

改めて調べてみると大変な病気で、手術が成功したとしても、これから合併症など後遺症が出ることもあることを知り、落ち込みました。

特に2週間前後に脳血管攣縮という合併症が起きて、麻痺や言語障害、最悪は死亡することもあるそうです。

2週間。まずはそこを乗り越えればいいんだ。

4.くも膜下出血 手術 脳動脈瘤コイル塞栓術

手術直前、ベッドに寝かせられたまま、手術室へ向かうエレベーターの前で一旦停止しているようでした。家族が駆けつけてくれていました。母が枕元で泣きながら何か話しかけてきていました。鎮静剤のせいか、出血のせいかあまり状況を把握することができません。

さらに相変わらず目にガーゼをつけられているので、周りが良くわかりません。

一人の看護師さんがこうして会えるのが最後になるかもしれないと思ったのか、ガーゼをとってくれようとしたら、

 

「それじゃ出発しまーす」

 

と無情にも動きだしました。私は何か言わなければと思い、

 

「ばいばい」

 

と言いながら動き出したベッドから手を振ったのでした。

手術室に到着すると看護師さんに手を引かれながら手術台まで歩いていきました。

そこでぶつっと記憶が途切れ、次に起きたときはベッドの上でした。

カーテンで仕切られた部屋のベッドの上で酸素マスクをして、左腕は血圧計、右腕は点滴、胸には心電図の電極が貼られ、さらには足が動かないようにベッドの枠に固定されていました。

ここはどこ?どうやら手術は終わったようだけど。と周りを見渡すと台の上にタオルが。よく見ると”ICU”と書いてあります。ここが噂のICUか。と少し感動。

看護師さんがこまめに見回りに来てくれて、起きた私にお水を飲ませてくれました。

感謝を伝えたかったのですが、言葉が思い浮かびません。「美味しい」とだけ伝えることができました。

おそらく、出血の影響で言葉を発するのが難しくなっていたのだと今になって思います。

しばらくすると周りの患者さんのところに数名の医者が見回りに来てくれているようです。回診ってやつですね。

ICUはいろんな病気の患者さんがいるので、あっちこっちで回診が始まっています。

私のところにはなかなか来ません。来ないのかな。。と思っていたら、遠くからざっざっざっと複数名の足音が。シャーっとカーテンが開かれ、教授らしき人を先頭に看護師さんや10名弱くらいの医師が回診に!

 

こ、これは!白い巨塔・・!!

 

どうですか?と聞かれ。大丈夫ですと答えたところ、満足そうな顔をした教授はまた部下を引き連れて戻っていきました。

かなり興奮しました!退院したら絶対白い巨塔を観ようと心に誓いました。

ここでもう少し病気について書きます。

私は脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で緊急入院しました。

そこでICを撮ったところ、脳動静脈奇形(AVM)ということも判明したのです。

脳動静脈奇形とは10万人に1人と言われている珍しい病気です。芸能人では間瀬翔太さんが同じ病気です。

私のように脳動脈瘤とAVMが合併している例もあるようです。

破裂した脳動脈瘤はコイル塞栓術という手術で足の付け根からカテーテルで脳動脈瘤にコイルを詰め込んで塞ぐというものです。コイルはプラチナ製で私の頭にはプラチナが入っています

脳動静脈奇形についても治療しているのですが、機会があったら詳しく書きたいと思います。

3.くも膜下出血 検査

担架で運ばれながらCT検査へ。

たぶん一度は普通にCTを撮り、そのあと、造影剤を使用してもう一度撮ったと思います。CTの台に座りながら造影剤使用の同意書にわけもわからずサインしたような記憶があります。

その後、場面は変わり、先生と向かい合って検査の結果を聞きました。

先生は若く、後で知りましたが研修医の方でした。

病名は一体何なんだろうと思いながら先生と向かい合ったところ、先生から、

 

くも膜下出血です」

 

と、告げられ、私は

 

「えっ・・・」

 

と言ったと同時に頭をガンっと殴られたような衝撃を受けました。ここで再出血したんじゃないかぐらいの衝撃でした。

ショックで何も言葉が出ません。心の中で、私って死ぬの??と混乱しました。

死ぬってどうなるの?最後に会いたい人は?

死んだあと後悔することとか、見られたら恥ずかしいものとかあったっけ?

など怒涛のように頭の中でいろいろな思いが駆け抜けました。

いや、ちょっと待て、私が死んだあとのことを考えてみよう。

と、私がベッドの上で顔に白い布を被せられて、周りに家族が立ち尽くす様子を想像しました。

 

・・・・・

 

あれれ?何も感じない。そうか、死んでるからか。死んだら何も感じないし考えないんだ。そう思ったらもう焦っても仕方ないと思って考えるのをやめました。

そして出血で頭が朦朧としている中、先生が誰かと電話で話をしている声が聞こえました。ベッドを確保するべく交渉していたようです。

「まだ31歳なんですよ!!」と大きな声を出されたとき、一瞬我にかえりました。

そして必死に救おうとしてくださる姿に感謝の気持ちが。

また、家族へは先生が電話をしてくださっていたようです。

覚えていませんでしたが、あとで母から聞いたら、私も母と話をしたようです。ただ、うんうんと返事しかしなかったようです。

その後、場面は代わって病室で点滴をつけられて、目にガーゼをあてられてる状態でした。どうやら病室のようです。

看護師さんから吐きたくなったらここにボウルがあるからね。ナースコールはここ、と教えてくれました。

看護師さんが去ってしばらくして吐き気がしたので言われたボウルを探しましたが、ガーゼで周りが見えず見つけられません(-_-;)

仕方なく人生初のナースコール。ボタンを押したら音が鳴るのかと思いきや何も鳴りません。焦って連打!!でも間に合わずゲーっとベッドに吐いちゃいました。

看護師さんはその後、手際よくシーツを変えてくれましたが・・ゴメンナサイ。

普通に考えたらガーゼを外したり、起き上がればいいのですが、鎮静剤を点滴で入れられているからか、頭が痛くて起き上がれないのか、動けませんでした。

ちなみに、入院した病院のナースコールは押すとボタンが光る仕組みになってます。患者のベッドでは音は鳴らないものなんですね。

 

そして次の日に緊急手術です。

2.くも膜下出血 病院へ救急搬送

5分くらいしたら救急隊員の方が到着し、私は髪の毛が濡れたままの頭をタオルで抑えながら、歩いて救急車の中に入りました。

救急車って狭いんだーなどと思いながら、担架に座りました。

いくつか質問に答えていたのですが、頭が痛くて力が入らないので足が貧乏揺すりのようにがくがくしました。

そして私は吐き気がして「気持ち悪いです」といって隊員に渡されたビニール袋に吐いてしまいました。

その後、隊員の方が「病院へ電話しますね」と言い、病院へ電話をかけ始めました。病院から受け入れを断られてなかなか運ぶ場所が決まりません。

病院に搬送するのってこんなに大変なんだ。。と思いながら、5~6件断られたところで、私は申し訳なくなり、「もういいです」と言ってしまいました。

もちろん、本当はもういいとは思っていなかったのですが・・

でも隊員の方は私が危険な状態だとわかっていたのだと思います。

「行かないというなら無理には出来ませんが、行ったほうがいいですよ」と言われ、「それじゃお願いします」と言い、また病院を探してもらいました。

あの時の隊員さんありがとうございます。あそこで諦めていたら死んでいました。

そしてようやく受け入れてもらえる病院が決まりました!

電話口の状況から診察するだけという条件のようでした。

頭が痛すぎ&気持ち悪いので担架に横たわり固定ベルトを付けられた後、車は動き出しました。

目を開けているのが辛く、目をつむったまま病院に着くまでじっとしていました。

ようやく病院につき、担架でガラガラ運ばれていきました。

担架に乗ったままの周りの景色が見たくて目を少し開けましたが、ちかちかして辛くて見ていられなくて、また目を閉じました。

目を開けるのが辛いというのはうなじに目の神経が走っていて、出血をおこした時に圧迫されているからのようです。

運ばれている途中、吐き気がしてガバッっと起き上がり隊員さんから渡されたビニール袋にゲーと吐き、それを手渡してバタンとまた横になりました。

このあたりから意識が飛び始めていますので、覚えているところだけ書きます。

1.くも膜下出血 当日

あの日は2011年梅雨の時期でした。

当時は仕事が立て込んでいて残業続きで疲れていました。

家に帰って食事をしたら寝てしまい、起きたら深夜1時。

シャワーを浴びなければとバスルームへ行き、頭を洗ってシャワーで流そうと前かがみになった瞬間、ドンっ!っと重い辞書が後頭部に落ちてきたような衝撃、そのあと首筋にジュワーっと何かが流れるような感覚が。

 

あれ?首つった?首ってつるもの?と思いながらなんとかシャンプーを洗い流し、体を洗い、もうこれ以上は頭痛くて無理、とパジャマを着て髪も乾かさずベッドに倒れこんだのでした。

 

なにこれ。。どうしよう。。病院行ったほうがいいよね?でも歩くの無理。タクシー?

どの病院に行ったらいいかわからない。救急車?呼ぶほどなの?

 

と悩んだ末、思い浮かんだのが#7119。これは救急車を呼ぶべきか、など迷ったときに相談できる窓口です。以前駅にポスターが貼ってあり、なぜか覚えていた番号です。

ちなみに実施している地域は限られています。ご参考まで。

https://www.fdma.go.jp/mission/enrichment/appropriate/appropriate007.html

 

ここにまずは電話をしてみました。電話の窓口の方に状況を説明をしました。住所などもこの時点で伝えた気がします。

できるだけ落ち着いた声で話をしたつもりでしたが、頭が痛すぎて弱々しい声しか出ません。

それを聞いた窓口の方は少し慌てた感じで保留になり、その後、

 

「このまま救急につなぎます」

 

と言われ、しばらくして救急の方に代わりました。

これから向かいますと救急の方に言われ、電話を切りました。

 

そのまま、またベッドに倒れこんだのですが、まだこの時点でそんなに重症だと思っていなかったので、診察を受けた後、どうやって帰るの?家に帰るのにパジャマじゃ恥ずかしくて帰れないよ。と思い、なんとか気合を入れて普通の服に着替えました。

もう帰れないのに。。。